薬膳は日々の生活になじませるように学ぶ

一見難しそうな、薬膳の学び方を考える

薬膳ってわかりにくい

私が薬膳の勉強をし始めたのはたしか2013年。

その頃、ご縁があって西洋医学界隈の研究に携わる方とお話をする機会がありました。

その方はアメリカでの研究期間も長く、有名な雑誌にバンバンと論文を載せる西洋医学の研究者の方でした。いわゆる現代科学、現代医学のど真ん中にいる方。

当時、私は薬膳や漢方の勉強を始めていて「東洋医学に興味があるんです」というお話をさせてもらっていました。

そうするとその方も、「ある疾患の研究をしていると、漢方は有効だというような論文を読んだりする」とおっしゃり、その話題のなかで、

「東洋医学ってわかりにくいよね。
わかりやすく伝えようとしないところにも、問題があるように感じるのだけど」

とおっしゃっていたんです。

勉強を始めたばかりの頃の私もまた、同じように「難しい」「わかりにくい」と思っていたので、「そうなんですよね〜、ややこしくて。頑張って勉強します!」とお答えしたのでした。

東洋医学は確かにわかりにくいし、わかりやすく伝えようとしていないのが問題。

思えば、この言葉がずーっと頭にあったように思います。

あれから数年が経ち、私も私なりに東洋医学と向き合い学びを深める中で、
この問いに対する答えが少しずつ導き出せるようになってきました。

東洋医学が難しい理由

まず、東洋医学(ここでは私が学んだ中医学を指します)が難しい理由のひとつは、その基盤が哲学にある、ということに尽きると感じています。

本来、というか、現代では、
医学なら当然、解剖学が元になるはずです。

その基盤が、解剖学ではなく哲学にある、というのはやっぱり摩訶不思議なこと。

でも、東洋医学はものすごく長い間、その基盤を大切にしてきました。

「哲学」っていうものがもつ特徴を見ると、「考える」ということからは逃れられない部分だと思います。

端的でわかりやすい哲学は、もはや哲学ではない。
つねに問い続け、考え続けるのが哲学。

だとしたら、わかりやすく簡単になることだけを良しとしたならば
それは哲学がもつ魅力が半減してしまう、ということです。

であれば、簡単で端的な東洋医学もまたその魅力を失いかねない、と思うのです。

それに加えて、
西洋の思想と東洋の思想が、そもそも違う、ということ。

西洋の思想と東洋の思想の違いについて研究された本があります。
『木を見る西洋人 森を見る東洋人』 リチャード・E・ニスベット著

この本に、こんなことが書かれています。
西洋人と東アジア人の違いを研究してきた研究者たちの見解によれば、ヨーロッパ人の思考は、

「対象の動きは(それが物体であれ、動物であれ、人間であれ)単純な規則によって理解可能である」との前提のうえに成り立っている。

・・・

これに対して東アジア人は対象を広い文脈のなかで捉える。アジア人にとって、世界は西洋人が思うよりも複雑であり、出来事を理解するためには常に複雑に絡み合った多くの要因に思いを馳せる必要がある。
形式論理学はほとんど問題解決の役には立たない。
実際、論理にこだわりすぎる人間は未熟だとみなされることもある。
と。

(ちなみに日本人は、東洋の地で生まれながらも、西洋の思想を受け入れたちょっと不思議な国かもしれません。それについてこの本にはジャパニーズミラクルと書かれています。)

これが本当に大きな違いだと思うのです。

出来事を理解するためには常に複雑に絡み合った多くの要因に思いを馳せる必要がある。

漢方や薬膳をするとき、ここに大きなハードルがあるといつも感じます。

多くのことに思いを馳せて、すべてを加味する必要があるから。

症状の出ている部分だけを診るのではなく、全体をとらえること。
だから、体からの情報をくまなく読み取ること。

一般的に漢方診療の診療時間が長いのはこういう理由もひとつなんです。
簡単が良い、ということではないのです。

人の体って、やっぱり複雑です。
だけどその複雑さを愛する。
それが、東洋医学の魅力でもあります。

ということで、東洋医学の難しさは

1.基盤が哲学にあること
2.西洋と東洋の思想の違いがあること

に起因していて、結局はそれが東洋医学のアイデンティティであり魅力なのだという答えがひとつ。

そして私が考えるもうひとつの答えが、「だからといって東洋医学は難しくない」ということです。

東洋医学を学ぶ順番

問題なのは、学ぶ順番だと思うのです。

例えば、アルツハイマーの周辺症状に漢方の「抑肝散」が効くと話題になったことがありました。

じゃあ抑肝散ってなに?と調べてみるとですね、例えば、その効能は
「平肝熄風(へいかんそくふう)」
って出てきたりするんです。

それをみて、「すごい!東洋医学ってわかりやすい!」

とはならないですよね。

こうやって、飛ばし飛ばし、目に付いたことを拾っていくだけでは
かなり得体のしれない学問だなぁと私自身も思ってしまいます。

ただ、まずは基盤になっている哲学の部分から入っていくこと。

たとえば整体観念。

東洋医学では人間と自然界を切り離して考えることはしません。

人と大自然の統一性を原則として捉える。

人は季節の移り変わりや昼夜の移り変わりに影響を受けますし、だからこそ自然界の流れと調和して生きること。

それは難しい話でもなんでもなく、自分の奥底に眠る当たり前の感覚であり、誰もが知らない間に体得していることだと思うのです。

そういう意味で、東洋医学は私たちの生活に密接につながり、間違いなくすぐそばにあるもの、であるはずなんです。

そこから、気・血・水や五臓の話につながっていって、

「気」が滞る(気滞になる)とどうなるか、なんとなくわかるようになって、

気滞と、五臓の中の「肝」のつながりがわかるようになって、

肝を学ぶと体に風が吹く(内風)ことがあるのだな、とわかり、

肝を静めて、内風をおさえる治療があるんだとわかり、

それが「平肝熄風」という言葉に詰まっている、とわかるようになる。

そうなると、得体の知れない学問が、すっと肌になじむ感覚になっていく。

中医学って、なじませるように学んでいくといいと思うのですね。

最初のステップは簡単に、少しずつ積み重ねていく

その最初の一歩はやはり、自分の生活にあるもの、
旬の食材を食べるとか、暮らす場所、環境の影響を考えるとか、心と体はつながっていることを知るとか。

最初の一歩は間違いなく、難しいものでも得体のしれないものでもないですし、
そこのスタートの部分、
つまり東洋医学を知る0から1の過程においては、
やっぱりシンプルに、わかりやすくなくてはいけない、と思っています。

そんな思いで執筆したのが「ごきげん美人さん--こまさんと始める薬膳レッスン」でした。
最初の一歩は、わかりやすくなくては。それがすべての基礎になるのだから。

そうしてまた一歩、一歩とステップを踏んでいく。
私の中では、東洋医学の学びってそういうイメージです。

薬膳にはきっと、
多くの方の生活に馴染む、素敵な知恵がたくさん詰まっていると確信しています。

最初の一歩が踏み出しやすい内容になっていると思いますので、よければぜひ!

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